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June 2362000

 早介が虚空をつかむ螢かな

                           湯本希杖

介は、おそらく小さな孫の名前だろう。蛍をつかまえようとして、「虚空」をつかんでしまった。孫の失敗も、また楽し。「ほれ、ほら」と声をかけながら、早介を見守る作者の慈顔が目に見えるようだ。希杖は、宝暦から天保期にかけて信州に住んだ一茶の弟子。湯田中温泉近くに「如意の湯」と名づけた別荘を建て、その子其秋とともに師を手厚く遇したという。一茶のいわばパトロンの一人で、芭蕉などもそうであったように、こうした人たちの生活支援があったからこそ、一茶らの文名も現代にまで伝えられることになった。そんな知識から句を読み返してみると、なるほど一茶への傾倒ぶりがよく現れている。そっくりと言っても、過言ではない。眼目は「虚空」にある。と言っても、もちろん句の「虚空」には近代的な味付けなどないわけで、単に物理的な「虚しい(何もない)空間」という意味だ。いまとは大違いで、昔の夜は真の闇。鼻をつままれても相手が誰だかわからないほどだったので、蛍の光りは見えても、相対的な距離感がとれないから、飛ぶ位置の見当をつけるのは大人でも難しい。したがって、可愛い早介の失敗にも笑っていられる。べつに、早介がのろまというわけじゃないのだ。これが江戸期の地方に暮らした庶民の、ごく普通の「蛍狩」の情景だろう。『一茶十哲句集』(1942)所収。(清水哲男)


April 2142003

 永き日や石ぬけ落る愛宕山

                           湯本希杖

語は「永き日(日永)」で春。暦の上で最も日の長いのは夏至のころだが、春は日の短い冬を体験した後だけに、日永の心持ちが強い季節だ。さて、この「愛宕山(あたごやま)」はどこの山だろうか。愛宕山と名前のつく山は全国に散在している。作者は江戸期信州の人だから、いまの軽井沢駅から見える愛宕山かもしれないが、判然としない。とにかく、その山を削って作った道に、高いところから「石」が「ぬけ落」ちてくる情景だ。といっても、そんなにたいそうな落石ではないだろう。ときに、ぱらっと小石や拳大ほどの石が落ちてくる程度。雪深い冬の間は、そういうことが起こらないので、「ほお」と作者は目を細めている。落石に春の日の長閑さを感じているわけだ。昔の山国の人ならではの春の味わい方である。作者の希杖は湯田中温泉の湯元で、一茶に傾倒し、一茶のために「如意の湯」という別荘まで建ててやっている。つまり、パトロンの一人であった。一茶も好んでよく滞在したようだが、ある日別荘から女中に託した希杖宛の手紙に曰く。「長々ありありしかれば此度が長のいとまごひになるかもしれず今夕ちと小ばやく一盃奉願上候」。要するに、しばらく会えなくなりそうだからと希杖を強迫(笑)して、晩酌の一本を無心しているのだ。むろん、希杖は早速酒を届けただろう。希杖は一茶よりも一つ年上だった。栗山純夫編『一茶十哲句集』(1942・信濃郷土誌出版社)所載。(清水哲男)




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